私が開院した理由

それは突然の出来事でした…。

祖父が目の前で倒れたのは私が中学3年生のとき、夏休みが終わる頃の残暑厳しい日の出来事でした。

あのときの光景は今でも鮮明に覚えています。

祖父が椅子から立ち上がろうとしたとき、嫌なひや汗を 額から流しながら、うずくまるようにして床へ倒れこみました。

「おじいちゃん、どうしたの?」

最初は冗談か、ふざけてるのかと思いました。

祖父は蒼白の顔で返事をしようにもじゃべれないといった様子で、
私に助けを求めて目の表情だけで必死に何かを伝えようとしていました。

当時の私はその突然の出来事を理解することができずに、
しばらくの間ぼう然としてしまいました…。

いつもの生活が一変

非日常的で緊迫した状況の中で、鳴り響く救急車の
サイレンの音とともに祖父は病院へと運ばれてゆきました。

祖父は脳梗塞と診断されました。

絶対安静の状態が続く中で祖母が病院に付っきりになり、
それが祖父の長い入院生活と介護生活のはじまりでした。

後遺症

数日後に、やっと面会することができました。

祖父は病院のベッドに弱々しく横たわっていて、
孫の私が来たのを嬉しそうな顔で出迎えてくれました。

「なぁんだ、おじいちゃん元気そうじゃん。調子はどう?
心配したんだよ、ホントに。あの時はさぁ…」

いつものように話しかけるのですが、
妙な違和感を感じつつ、祖母はうつむいたままでした。

祖父は脳梗塞の後遺症により、 半身不随で歩行が困難になりました。
言語障害により、しゃべることができなくなりました。

家族への負荷

リハビリを続けても体はいうことを聞かず、話しかけても祖父は答えることができなくて、いつもイライラしてました。

自分の思っていることや言いたことが相手に分かってもらえない、人と意志の疎通ができないという精神的ストレスは、はかりしれないものがあるのを感じ取ることができました。

祖父との会話をどうしたら良いのかを悩み考えました。

YESやNOで首を振ったりうなずいたりして答えれるような
話しかけ方を工夫して一生懸命にしていました。

人生の転換期

私は中学、高校を経て大学を卒業したのち、自分の職業として
システムエンジニアの仕事を選択して忙しい日々を過ごしていました。

会社での仕事にも慣れてきてシステムエンジニアとしても充実し、
社会人として何とかやってゆけそうだなと思っていたところに、
祖父が危篤の状態になった知らせが届きました。

祖父は約9年間の介護生活を経て、最後は癌で息を引き取りました。

祖父の最後の姿を見ていて、自分の心がうねりをあげました。

中学生の頃から祖父に対して何かしてやりたくても、
どうしたら良いかわからずに結局のところ何もできなかったこと。

自分の人生を優先させて、お見舞いにもあまり行かなくなっていたこと。

おじいちゃんがこんなふうになる前に、未然にできることや
防ぐことが本当にできなかったのだろうか…。

このときに初めて「人の身体をケアする仕事」というものに興味を持ち、
意識がそれに向きはじめました。

一年後に大きな決断。そして過酷な下積み時代

会社の上司の反対を押し切って退職して、まわりの応援に助けられながら
カイロプラクティックの専門学校に入学しました。

昼間は整体院や鍼灸マッサージ院でのアルバイトをこなしつつ、
夜は学校で勉強という日々が続き、最終的には鍼灸接骨院に勤めました。

その接骨院はとても多くの患者さんが来られる繁盛店でした。

あらゆる症状の患者さんに接したくて、いろいろなタイプのお身体に
触れる経験をしたくて、手の感覚をさらに磨きたくて。

働きながら学費を支払って学校で勉強してゆくのは予想以上に大変で、
この3年間は肉体的にも精神的にもかなり厳しかったです。

新たな感覚

接骨院で一番過酷だった頃は、午前中の半日だけで 100人以上の来院記録があるようなところでしたので、 私も1日で平均30人を施術するという日々をこなしていました。

たくさんの患者さんと出会って施術を経験させていただく中で、 あるとき、人の身体の中に何かしら流れるものに気付きました。

目には見えない気の流れというものを感じるようになりました。

この方のつらさ、例えば腰の痛みはどのように痛いのだろうと、
相手の立場や状況をイメージしながら多くの施術を重ねてゆくうちに
それを体感するようになりました。

経穴(つぼ)、経絡(流れ)、気というものが存在するということに
興味を持つようになり東洋医学を勉強したくなりました。

その思いは日毎に増してゆき、鍼灸師になるために昼間働きながら
夜間の専門学校へ通うという日々が再び始まりました。

再び訪れた人生の転換期

また、思いもよらないことが起こりました。

平成20年8月31日の天気の良い日曜日の朝、
勤めていた接骨院の院長から一本の電話がありました。

「諸事情により明日で閉院することになりました。」

相手が何を言っているのか意味がわかりませんでした…。

「なんで?どうして?」と頭が真っ白になり、
夏の青く澄んだ空をベランダからぼーっとしばらく眺めていました。

まだ、専門学校の2年生で学費も全部納めていないし、
明後日からは仕事がなくなり無職になるし、

この先どうしたらいいのか…。

先の不安や心配を考え出すときりがなく混乱しました。
そして、私の心は少しずつ腐りはじめようとしていました。

人生には何が起きるか本当にわからないものです。

あすなろの誕生

明日で接骨院は最後の日になるんだと思ったとき、
担当していた患者さんたちの顔が次々と浮かんできました。

接骨院が無くなってしまうことを患者さんへ連絡したときに、
「私はこれからどこへ行って身体をみてもらえばいいの!」と
ものすごく怒られました。

この一言を聞いて、私は無我夢中に走りだしました。

このままじゃいけない!

ご縁のあるところに空き店舗があったことを思い出して手配したり、
案内のチラシを作ったりして思い付く限りのことをやりました。

接骨院で一緒に頑張ってきた後輩や仲間に助けられました。

夜中にトラックで施術用ベッドや荷物を運んだり、
壁をペンキを塗って内装を整えたりと、とにかく必死でした。。

そして、何とかその週のうちに整体院を作り上げ、
患者さんを迎え入れて診させていただくことができました。

あすなろはこんなふうにして誕生した手作り感あふれる治療院なんです。

そして、現在…

今このように自分の役割をあすなろ治療院で果たしてゆけるのは、
多くの方々の力添え、仲間の協力、家族の支えがあってのことです。

皆様のおかげ様です。

祖父がきっかけとなってくれました。
おじいちゃん、ありがとう。

この場をかりまして、厚くお礼申し上げます。

これからも誠心誠意に診させていただきますので、
今後ともよろしくお願いいたします。

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